日本ファンクショナルダイエット協会
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特別編

乳がんサバイバーの座談会

〜がんから自分を守る食事法とは〜 Part3

ケトジェニックダイエットアドバイザーであり乳がん体験者でもある安河内美和子さん&國松雅子さん、そして南雲吉則先生の「命の食事」を受講した山本和美さんの座談会、第3回目です。がんの好物が糖質だと知った経緯も違う3人ですが、乳がん発覚の経緯も治療法もだいぶ違う様子。この辺で病気についても聞いてみましょう。

乳がんは、ある日突然やってくる!

山本:安河内さんはFacebookで、毎日食事をアップしてくれていますよね。ちょいゆるのケトジェニック食。私、いつも楽しみに見てるんです。糖質を抑えても、ここまで料理が作れるんだ!って。

國松:センスがいいですもんね、ほんとカッコイイ。

安河内:Facebookは日記のつもりでやってるんです。ときどき「何年前の今日」なんていうのが勝手に出てきますよね。そうすると以前は、毎日毎日麺ばかり食べてたことがわかるんです。「よくもまあこんなに毎朝麺を食べてたなぁ」とか「また麺かよ!」って(笑)。過去の自分にツッコミ入れて「何やってんだか、こんなに糖質ばかり食べて。これじゃ乳がんになってもしょうがない食生活だったのかもね〜」なんて思ってしまいます。

山本:乳がんになったとわかったときも、全部Facebookで報告してたんですよね。

安河内:そう、こと細かに(笑)。

國松:私は乳がんになったことは、ずっと非公開。Facebookはずっと毎日投稿してるんだけれど、乳がんのことは1年半近く封印してた。その間も全く休まず変わらず、ケーキ作って仕事してましたから。髪が抜けてもスカーフなんか巻いて仕事して、普通に写真をアップしてたので、その下が坊主とは気づかれなかったのかも(笑)。 それで、やっと少し前にカミングアウトしたんです。私が乳がん、それもステージ3だ4だと公表したとき、みんな本当にびっくりしてました。安河内さんが乳がんとわかったのも、1年ちょっと前のことでしたよね?

安河内:私は2015年の夏に乳がん手術をしたんですけど、実は最初にがんになったのは2004年。子宮頸がんの手術もしていたんです。そして10年経って再発もなくて「やれやれ」とほっとしているところに、今度は乳がんになった。母と母の姉が乳がんサバイバーなので、遺伝子的に私もなるかもしれない…と用心はしていました。だから年1回マンモグラフィとエコーの検査は受けていたんですけどね。子宮頸がんの後、5年経ったところでがん保険にも入って、準備万端でした(笑)。

國松:どうやって見つかったんですか?

安河内:お風呂で体を洗っていると「あれ、あれ? 何かある」と。それはすごくちっちゃな小豆粒くらいのもので。セルフ触診の習慣もなかったのに、偶然に神様がそこを触らせてくれたような…「あっ!」という感じがありました。すぐ大学病院で検査をして生検まで行って、やっぱり「浸潤がんです」と。小さいのでステージ1でしたけど。 小さいので、初めは「部分摘出をして、その後で放射線治療をする」という、ほとんどの医師が勧めるであろう常識的な治療法を提案されました。ただなんとなく、どこかでそれを鵜呑みにできない、納得できない感覚があったんです。それで、セカンド、サードオピニオンを聞いて、結果的には南雲先生の執刀で片側全摘をして、同時再建手術をしたんです。 同時に遺伝子検査もしました。アンジェリーナ・ジョリーがやった例の検査も。結果は「遺伝子変異はなし」ということで陰性。もし遺伝子的に陽性だったら両側一緒に取ってしまいたかったんですが、とりあえずがんのほうだけを取ったということ。その後、飲み薬の抗がん剤を半年やって、今はホルモン治療をしているところです。

山本:南雲先生の執刀だったから、糖質はがんのエサだと知ったんですね。

安河内:そうですよー、診察で言われちゃうんだもの。それからはケトジェニックダイエットを皮切りに、糖質を控えることはもちろんだけど、どんな食生活が再発予防にもつながるのかをかなり学びましたね。

國松:私の場合は、乳がん再発なんです。最初は2010年。7ミリくらいの早期発見。それもやっぱり、神様が見つけさせてくれたのかなと思うほど、かなり偶然によるものでした。 「5年経って検査を受けて、これで大丈夫だったらクリアだな〜♪」と思っていた2015年、以前と別の機関で検査をすることになり、最初の乳がんの資料を取り寄せることになったら、「検査の資料はないです」っていうの。なんとなんと、よく考えたら5年間検査をしてなかったんですよ。病院には定期的に行っていたのに、です。毎回問診だけだったんですよ!

山本:そんなことってあるんですね−。

國松:恐ろしいですよね〜。それで、検査してみたら最初はクリア。再発はない、と。一度温存手術をしているから、そこに隠れてるといけないので、「また半年後ぐらいに検診しましょうね」と言われて、その日は帰された。でも、なんとなく虫の知らせというか、自分の中でどうも納得がいかなくて「もう一度、細胞診を取ってください」と病院へ行き直しました。そしたら本当に悪性が出たんです!「うわ〜、やっぱりだ!」と思って。
大学病院で調べてもらうと、ステージ3Bからステージ4という結果が出ちゃって。転移はなんとか免れましたけど、MRIで見たところ、かなり散ってしまっていて…私も浸潤がんです、進行がん。
そのとき、乳がん自身が「バレた!」と思ったのか、急に症状が進みましたね。皮膚もひきつれて奥にも痛みが出てきて…「これはヤバいな」と。とにかく手術だと。それが2015年6月です。私も南雲先生のところへセカンドオピニオンを聞きに行ったんですが、私の場合は先生のところではとても切れないと。先生のアドバイスで、手術ではなく抗がん剤に切り替えました。



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不安な治療中も、もっと知識があれば…

安河内:わかった時はもう、ケト検を受講していたんですよね?

國松:そう、ケト検を受講した直後に乳がん発覚。治療期間に実践レポートを提出したんですよ(笑)。抗がん剤治療中も糖質控えてケトジェニック食。さらにノニジュースやケイ素や水素、リンパマッサージなんかにも出会いました。そのおかげで、抗がん剤の副作用に苦しむこともなく、半年間を終えられた。半年で乳がんの80%が消えてたんです!

安河内・山本:えー、すごい!!

國松:そして、3カ月待って全摘手術。その後はホルモン剤を飲むだけ。それも副作用は何もなくて、いま快適に過ごさせていただいてます。お仕事も1日も休まずです。1年半前に分かって以来、ここまで本当に元気な状態で来ちゃったんですよ。ステージ3から4とわかった日のことを思うと本当に恐ろしいですけど、こうやって元気でいますからね。

山本:私、毎年マンモグラフィとエコーを両方受けてたんですけど、2011年の9月、検査のときにエコーが止まったんです。そして私より後に来た患者さん達、みんな帰っていくのに私だけ一向に呼ばれなくて…「自分、乳がんかな」とドキドキ。いちばん最後に呼び出されて、案の定「あまり良くない腫瘍が見つかったので、細胞を取ります。リンパにもあるかもしれない」と。病院自体がちょっと慌ただしくなっちゃって、毎年やっていた検査資料を院長先生や他の先生方が見て、「以前はなかった」というんです。いろんな先生が資料を見始めた時点で「もう私は100%乳がんなんだな」と思いました。それからは、とりあえず家の中の掃除(笑)。

安河内・國松:わかるわかる〜。

山本:2週間後、結果を聞きにいったら、やっぱり右側は乳がん。でも左側はがんとは出ない。そこは小さい病院だったので、大学病院に紹介状を書いてもらった。でも大学病院でも、またまた同じようにエコーもマンモグラフィもひと通りやって、両側の細胞を取る。そして右側は確定したんですが、左側が確定しない。また取るんですかって。穴ばっかり空けられて(笑) もう痛いし〜。

安河内:太い針を刺すから局所麻酔してもけっこう痛いですよね。

山本:そうなんです。乳がんが漏れるんじゃないかという心配もあったんです。ネットで調べたら、それはないとは書いてあるんですけど。

國松:刺激されると、なんだかね。私なんか、がんと発覚したとたん、ソレが動き出した感じがして。

山本:そうですよね、そんな感じがするんですよ!で、その後大学病院では「リンパに転移があるから生存率60%だね」とズバッと言われちゃった。そこからもう気がおかしくなりそうになって、主人に報告したら、「あ、そう」と言ったきり。向こうも怖かったんでしょう。男性は弱いんだな〜と思いましたよ(笑)。
そんなとき、保険会社の担当の方が見るに見かねて家まで来てくれて「セカンドオピニオン受けましょう」と、女医さんを紹介してくれたんです。大学病院の資料を全部持って行って、その先生に見せたら「左もやっぱりがんかな」と言うんですね。「リンパに転移があるから、抗がん剤は100%やらなきゃいけない。髪の毛は抜けちゃうけど、3種類ぐらいウィッグを作って、おしゃれしなさいよ」って。「胸はなくなっちゃうけど、今はカッコイイ胸ができるから自慢しちゃいなさい♪」みたいな先生だったので、「もしこの先生に頼って命を落とすようなことがあっても、後悔はない」と決心ができたんです。
でも、そこからまた東京の病院で検査を受けても、やっぱり左が確定しない。9月に乳がん発覚してから12月になっても検査が続き、穴ばかりあけていて…。

安河内:えー、ずっと検査してたの?その間。生検を繰り返して?

山本:そう。「もうつらいから、潔く両方取っちゃってください」とお願いして、全摘手術してもらいました。で、結局、病理の検査はやっぱり左側も乳がんだったんですよ。どちらにしても最初は触ってもわからない程度だったので、「がん検診に来なければ両方ともわからなかったかもしれない。転移もあったけど、検診していたからこれだけで済んだんだよ」と先生に言われて、初めて「ああ、検診って大事なんだなぁ」と思いました。
そして1月に手術をして、2月から抗がん剤。リンパも16本中12本に転移があって取っちゃったから、抗がん剤の副作用でかなり浮腫ができてしまって。もう浮腫外来に通いながら抗がん剤治療です。2月から8月までの半年間に2種類の抗がん剤治療をして、その後ホルモン治療が始まって、シリコンを入れかえました。

安河内:それはそれは長い道のりでしたね〜。

山本:ホルモン剤を飲み始めたとき、やっぱりすごく不安になったりドキドキして精神的にも不安定になって。「ウォーキングがいいよ」とか「何か汗を流すのがいいよ」と聞いて、とりあえず運動は気をつけましたけど、食事は何を気をつけたらいいのかわからないままきちゃった状態なんですね。

國松:期間が長いだけに不安だったでしょうね。

山本:もっと早く、糖質が悪いことを知りたかったし、再発予防になる食事も学びたかった。知識があるだけでも不安から解き放たれたかもしれませんよね。今は知ることがとても楽しいんです!

Part4へ続く

【参加者プロフィール】

日本ファンクショナルダイエット協会

安河内美和子さん

1959年3月13日生まれ。広告プロデューサー。
趣味はボールルームダンス。
ケトジェニックダイエットアドバイザーNo.136 「命の食事」チューター
≪安河内さんの乳がんの経過≫
2015年6月:入浴中に右胸のしこりに気づく。
同月、某大学病院にて検査、針生検実施。
同年7月:ステージⅠの浸潤がんと判明。
部分摘出+放射線治療をすすめられる。
自分が求める治療法かどうかをセカンドオピニオンも含めて比較検討、
「乳腺全摘、皮膚温存、同時再建」という答えを出す。
同年8月:全摘&同時再建手術(1泊のみ)
同年10月〜2016年3月:経口の抗がん剤服用。
2016年4月:ホルモン治療開始(10年間の予定)。

日本ファンクショナルダイエット協会

國松雅子さん

1964年3月1日生まれ。パティシエ。
オーダーメイドケーキ専門店アロンジー主宰。
ケトジェニックダイエットアドバイザーNo.81
≪國松さんの乳がんの経過≫
2010年:初めての乳がん検診をきっかけに、
右胸に0.6㎜の悪性腫瘍が見つかり摘出手術。
2015年6月:乳がん検診で何も見つからなかったが、 何か嫌な感じが残り、細胞診を希望。そこで乳がんのステージ3B〜4と診断。
同年8月〜12月:抗がん剤治療1クール。
続けて次の抗がん剤投与の予定が、
ほぼがんが消えたということで抗がん剤治療は終了。
2016年3月:右胸摘出、左腋リンパ切除手術。

日本ファンクショナルダイエット協会

山本和美さん

1969年8月23日生まれ。アロマハイストーンサロン主宰
癒しを提供すべく院内アロマの提案、
キャンドル&アロマハイストーン教室などを開催。
≪山本さんの乳がんの経過≫
2011年9月:乳がん検診で両側に乳がんが見つかる。
数回にわたる検査の結果、右側はリンパに転移、左側グレーゾーンの診断。
2012年1月:左はグレーのまま両側全摘手術、同時にエキスパンダー挿入。
2012年2月〜8月:抗ガン剤治療。
2012年8月:ホルモン療法開始(10年間の予定)。
2012年10月:乳房再建とインプラントの入れ替え手術。