日本ファンクショナルダイエット協会
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第9回

蘇我英樹

「ケトジェニックダイエットアドバイザーNo.120」

キックボクシングの世界チャンピオンのまま引退した蘇我英樹さん(リングネーム)。
引退の理由は、次にやりたいことが見つかったからでした。

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本年4月10日、千葉県市原市の臨海体育館で、WKB世界スーパーフェザー級チャンピオン、蘇我英樹選手(34歳)の引退試合が行われました。相手は元WPKC世界ムエタイ・ライト級王者の強豪、大月晴明選手(写真左)でした。取材班は蘇我さんの応援に行き、ビルドアップされたそのボディを写真に収めました。ケトジェニックダイエット+キックボクシングによってつくられた美しい肉体です。

ここでは、ケトジェニックダイエットに出合ったキックボクサーの過去・現在・未来について、ご本人が語った言葉をほぼそのまま、ご紹介します。

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※キックボクシングにケガはつきもの。全部で80針ぐらい縫っている。鼻も折れて曲がりっぱなし。「自分の生きていた証としてもういいや、と。一応鼻呼吸もできるんで」。


キックボクシングを始めたのはいつですか?


「二十歳の時ですね。周りの人からすると、ちょっと遅いかもしれない。もともと19歳で空手の道場に遊び半分で行き始めて、プロになりたいと思ってボクシングジムに行ったんです。そしたらK1とかで、キックボクシングの存在を知って、空手もちょっとやっていたからパンチもキックも使えたほうがいいなと。それで近くの市原にあったキックボクシングジムに行くことにしたんです。

K1はちょうど70キロ級の魔裟斗さんとか武田幸三さんとか有名な選手がテレビに出るようになって、大人気でした。ま、K1には僕は出られなかったんですけどね。ミドル級までしかなかったから。でも、そこまでわからないじゃないですか、階級のことって。僕、もともとはバンタム級という53キロの階級でやっていたんです。はじめてタイトルを獲ったのがバンタム級で、24歳の時です。デビューして無敗で、2年で(新日本キックボクシング協会フェザー級)チャンピオンに。ははは。8戦全勝で、8戦目でチャンピオンに。ま、自信はすごくあったんで(笑)。

格闘技の経験は、中学校の時に柔道をちょっとやっていたぐらいです。高校も僕、出ていないんですけど、体動かしているのが好きで力仕事やっていたんです。ちょっと外れて、学校が馴染めなくて。それまで集中力がなかったんです。勉強するってことができなくて。言い訳になっちゃうんですけど、学習障害に近いような感じで、まあ、勉強嫌いで、目標もなく生きていたんで……。情熱のない人間でしたね。

それがキックボクシングに出会ったことで変わった。僕の最後の自信が格闘技だったんで。ま、自信があったんですよ。柔道をちょっとやった時もすぐ市の大会に出られたりもしたんで、ちょっとそういうのに自信あるなと」

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※引退試合はTKO負けだった。試合早々、大月選手のヒジで左の瞼が切れて(11針縫った)視界不良になり、強烈なフックで鼓膜が破れた。全力で戦ったので悔いはない。


ケトジェニックダイエットとの出合いは?


「やっぱり減量がすごいじゃないですか。僕、キックボクシングをやり始めた時は、平均体重が60キロぐらいだったんです。バンタム級なのでリミット53キロ、7キロぐらいの減量をずーっとしていて、減量を繰り返すとどうしてもどんどん太っていくじゃないですか。体重がどんどん増加して行って、バンタム級の最後の減量をした時、だいたい3週間で14キロぐらい落としたんですよ。それで、もうちょっとまずいなと。で、試合が終わった次の日には13キロは戻っていたんですよ、1日で。

減量の方法は、水抜きです。水分を一気に落とす。普通の人はやっちゃいけないような減量方法ですけど、もう体の水という水をすべて出し切るように絞り出す。だから、戻る時はもう、スポンジじゃないんですけど、水分を溜め込んで溜め込んで、食事もすごく食べるんで、すぐ戻っちゃいますね。むくみはすごいですよ。1週間、2週間はスネとか押したら戻ってこない。肌も水でパンパンにむくんじゃって。そういうのを繰り返していて、体重も上がったんで、フェザー級に階級もあげて。

フェザー級は57キロ。その時の平均体重が65キロぐらいだったんで、7〜8キロ減量してましたね。チャンピオンになって1年後、2年後ぐらいですね。

(キックボクシングは)お金には正直全然ならないんですよ。そういう面ではキックボクシングで成功するのは無理だとわかっていたんで、キックボクシングで名前を売って、やめた後、キックボクシングで学んだことをしたいと、いうことは大雑把な目標としてですけど、年を重ねるごとに思うようになったんです。

で、ケトジェニックダイエットは出合ったのは、何かでたまたま、インターネットか本屋で見かけたのか、糖質制限みたいな本とか白澤先生の本を読んだんです。僕も、減量に関して『これがいい』という減量法が見つかってなくて、全部がきつかったんですよ、精神的に。それで試合のたびに減量するから、精神的にネガティブな、きつい感じになっていた。練習もハードになるんで。それが年間5試合で、年5回、10キロ近い減量を繰り返していたんです。

やめたから思うんですけど、ホントにきつかった。でも、この経験があったからこそ、僕、ケトジェニックダイエット、ものすごく素晴らしいものだと、身をもって声を大にして言えますね。はい。 ケトジェニックダイエットを始めたのは、引退する2年前ぐらいだったんで、今、3年ぐらい前ですかね。本を読んで、ホントにこんなことがあるのかなと。昔、アトキンスダイエットってあったじゃないですか。肉食で痩せるって。でも理論が全然わかっていなかったから、自分も。頭にそういうダイエット法があるということだけは入っていたんですけど、でも、そんなことできるわけない、と思っていたんですよ、理論がまったくわからなかったんで。

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試合終了後、15年間の現役生活に笑顔で別れを告げる。市原ジムに入門したのは2001年。デビューは03年のことだった。

それで、糖質制限を知った時に、あ、アトキンスダイエットの理論てこういうことなのかなという興味もあって、実践してみたんですよ。そしたら、ものすごく楽に体重も落ちて行ったんで。何よりもすごいなと思ったのは、集中力ですよね。

僕、日中の眠りっていうのが強いタイプで、甘いもの、菓子パンからケーキ、アイスクリームが大好きだったんです。それを絶った時に精神的に楽というか。それぐらいきつかったんですよ、減量が。ちょっとでも楽なものがあるなら、そっちにすがりたいじゃないですか。

ケトジェニックダイエットは、たんぱく質が摂れるんで、筋肉量も落ちることもない。減量している時の悩みって、筋肉量も落ちちゃったりしていたんです。落ちたらまた(筋肉量を)戻して、をずーっとやっていた。なんためにトレーニングしているのか。でも、ケトジェニックを知って体脂肪だけをしっかり落とせるようになった。それと、集中力が落ちないようになった。だから、この協会のことも知って、ぜひ学びたいと。こんな素晴らしいものがあったのかと(笑顔)。

僕、3か月に1回は風邪ひいていたんですよ、熱出したり、喉の痛みとかあったんですけど、糖質を抑えたら風邪もひかなくなった。こんな素晴らしいものがあるのかと。

それで、僕、もともとウェイトトレーニングとかもすごい好きで、ボディメイク、人に教えていたりもしたんですよ、キックボクサーやりながら。その時に、ケトジェニックダイエットだと、有酸素運動もなしで体脂肪を落とせるじゃないですか。僕自身、引退試合の前の最後の減量では、長時間の有酸素運動はやらないで体をつくって、ストレスフリーで計量をパスできた。

最後の試合はスーパーフェザー級61キロでやりました。平均体重、68〜70キロはありましたから、9キロぐらい落としました。ケトジェニックで最後の3日ぐらいまでに6キロ落としたんですよ。で、最後は水抜きで、最後の1日で3キロ水抜いちゃうんですよ。サウナとかで。すごく楽に落とせました。

それまではホントに辛かった。サウナスーツ着て、試合の前日でも10 ㎞とか走ってました。中に10枚ぐらいTシャツとかトレーナーとか着込んで、その上にサウナスーツを着て。でも、最後の最後は汗もかかないんですよ。

やっぱり減量のつらさで、摂食障害というようなこともありました。減量するのが辛いんで標準体重を下げたいと思う。でも甘いものがすごい好きだから、つい食べ過ぎちゃう。そういう時は指突っ込んで吐いたりとか、今思うとなんであんなことやっていたんだろうと思うぐらい、精神的にも追い込まれていた。でも、その時はわかんないんですよね」

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引退の10カウント・ゴングの後、新本キックボクシング協会の伊原信一会長(右)と、所属する市原ジムの小泉猛会長(左)に長年の功労を讃えられる。



アドバイザーの資格を取得してどうするんですか?


「今はボディメイクの方で頑張ろうと。会社に所属しているんですけど、その会社のスポーツ事業部の代表として、ボディメイクとフィットネスジムを立ち上げるのにシステムづくりから始めているところです。

ボディメイクのパーソナルトレーニング部門では、ケトジェニックダイエットだとストレスがない、というのを教えていきたい。ダイエットというのはネガティブなものじゃない。食べながら簡単に体脂肪を落としていける。実践してきたからこそ、陥りやすい、間違った糖質制限、糖質制限て間違ってやるときつくなったりするじゃないですか、を正して、ちゃんとした栄養素の摂り方を指導したい。それに、「筋肥大の理論」と「超回復理論」といった筋肉の理論を組み合わせれば、短期間で確実に絞れる。筋トレとケトジェニックの理論が合体すると相乗効果で、ハイブリッドなものすごい素晴らしいものができる。

僕も現役引退して、今70キロあるんですよ。体脂肪率は13パーセントのままで、筋肉量だけをしっかり上げて、バルクアップできているんで。僕もこれからボディビルの世界に行ってみたいと。もっと筋肉を大きくして、コンテストに出ようと。どうせなら目標を持っていた方が楽しいじゃないですか。

今まではキックボクシングに情熱のすべてを注いでやってきたんですけど、次はボディメイクの方に興味が、情熱がいっちゃったんで、引退も考えたんですよ。特に不調とか、体、実力の衰えとかは感じてなかったんですけど、次のこと、ボディメイクをしっかりとやっていみたいと。

ボディメイクは、簡単に誰もがケガもなく結果を出せることなんで、だから僕、色んな人に指導したいというか、本当に100%よいものを提供できる自信がある。今、パーソナルトレーニング、ライザップさんとかいろいろあるじゃないですか。でも、キックボクシングの動きも取り入れたりして、筋トレとケトジェニックの3つを組み合わせたものをつくれれば、僕のオリジナルができる。来年の4月、MAD、マーシャルアーツ・ボディデザインという意味の会社を立ち上げるんです。千葉市の蘇我にフェスティバルウォークという、アリオとか映画館とかスーパー銭湯とかある複合施設があって、今、そこのすごくいい場所に会社の社長と建設会社さんと話をして、土地・建物づくりを進めているところです。MADのマニュアルもつくらないといけないし、トレーナーの育成もしないといけない。やることはいっぱいあります。

そんなシステムづくりの最中ですけど、僕もケトジェニックのことをもっと勉強したいということもあるで、シニアアドバイザーも頑張ってみようかなと。会社に話をしたら、ぜひ勉強してきてくださいと言われたんで。

これだけ勉強しようという気持ちを持てるのも、僕はケトジェニックを始めてから、集中力が違うんで。今までって、僕、免許の更新でも無理なんですよ、1〜2時間でもう……。本を読むというのも今まで出来なかったんですけど、今は本もものすごく読めるになって、好奇心もすごく出てきたんで。

本当に砂糖が合わなかったなと実感してるのと、人生救われている部分もあるんですよ、キックボクシングと筋トレとケトジェニック、この3つがものすごいんで、僕の人生にとって」




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そが・ひでき

1981年11月14日、千葉県千葉市生まれ。元WKBA世界スーパーフェザー級王者。
炭水化物、ごはんは食べたくはならない?という質問に「今はもうほとんどないですよ。
でも、筋トレした後はリカバリーでいち早くインスリンを出して筋肉に運んであげるために、炭水化物は摂った方が効率はいいんですよね、筋肉を肥大させるのには。どの場面でとるか、どれぐらいのものをとるか。糖分を摂るとしても、自然なものですよね、芋とか米とかバナナとか。ケーキ、まあ、そんなに頭、頑固になってもダメじゃないですか。空気読まなきゃだめな場面もあるので、そこは柔軟に」。